This is love 〜*

16


『また、明日…』その約束はもう守られことはないかもしれない。


彼女を家まで送って、帰り着いた部屋で見つけたものはこの部屋の鍵だった。
俺が最初の日に彼女に渡した、一度も使われる事のなかった鍵。
それにただ一言だけ書かれたメモ。
丸みのある細い字で『ありがとうございました』その一言。
それはいつもの挨拶で交わす言葉ではない。
そう言えば、最初の日、行為の後に彼女が言ったのもその言葉だった。
違和感があったけど、なんとなく聞き逃していた。
でも彼女はどんな気持ちでその言葉を言ったんだろう?




* * *


いつになくよくしゃべるな?
車の中で彼女に抱いた疑問。
いつもなら、帰りの車の中は無言のことが多い。
でも、彼女はよくしゃべっていた。


「あのスパゲティ、もともとお父さんが作ってくれたんです」


それは「腹減ったな」からはじまって、「志穂の兄さんのスパゲティ、美味かった」に話が移った時だった。
もうご飯食べる時間もないから、このまま真っすぐ彼女を送らないといけなかった。


「お母さん、私が小学1年の時に事故に合ったんです。だからほとんど覚えてません。
そんな私に、『お母さんの味だ』ってお父さんが作ってくれて…
お父さんが唯一わかるお母さんの手料理だったんです。って言っても、ケチャップなんですけど…
…だけど『お母さん』ってのが嬉しくて、何度もねだって… お父さん、そのタメだけに会社から帰って来てくれたり…
そううち、お兄ちゃんも覚えて作ってくれるようになって…」


そんな彼女の話が嬉しかった。


「なんだか、暗い話ですけど…」

「そんなことない」


そんなことない。もっと彼女の話を聞いていたい。


「じゃ、志穂も作れる?」

「…作れます」

「今度、作ってよ」


嬉しそうに笑顔を浮かべる彼女に、何も疑問を持たなかった。
彼女の話には『お父さん』と『お兄ちゃん』が何度も登場して、彼女の世界がその2人によって作られてるのがわかった。
俺もその中に入りたいなんて欲が出て来た時にはもう彼女が車を降りる場所まで着ていた。


「…滉平さん、ありがとうございました」


いつも志穂が最後に言う言葉が彼女の口から零れて、俺もいつもの言葉を同じように伝えた。
今日、2度目の『また、明日…』




* * *


「志穂、帰らないと…」


滉平さんの言葉に心臓が締め付けられた。
髪を優しく撫でてくれる手に縋り付きたかった。


「帰りたくない…」


言ってはいけない言葉が口から零れて、ギュッと軋む胸が痛い。
帰りたくない… このままここに居たい。そう出来たら、きっと…


「うーーん。今日は… ダメ。
志穂の兄さんに『頼むよ』って言われた。今日だけは、志穂を門限までに送り届けないと…
男として、失格になる」


ハハッと微かな笑みを浮かべて滉平さんは私の言葉を打ち消してしまった。
その笑顔が凄く優しくて、従うしかない。
『用意をする』というと、彼はクシャッと私の頭を撫で、『また明日』と言った。
いつも言ってくれる言葉だった。
滉平さんが部屋から出て行く。


「…明日は無いんだよ……」


私はそう小さな声で呟いた。
明日はない。明日は… 佐々木さんにお返事するから、明日はもう無いんだ。
そんなこと滉平さんは知らないし、滉平さんには関係ない…
私が来なくなったら、少しは寂しいとか思ってくれるのかな?
それとも、何も思わない?


「本当は、ちゃんと伝えないといけないんだろうけど…
泣いちゃうから… きっと、私が泣いたら滉平さんは困るもんね」


寝室の床に転がっていたポーチの中からこの家の鍵を出した。
それにメモ。一言だけ伝えたい想いがあった。それだけは伝えたい。伝えなければ…
精一杯の気持ちを込めて『ありがとうございました』そう書いた。


ベッドサイドにメモを置き、その上に鍵を置いた。
結局一度も使えなかった鍵。
それって、いつも滉平さんが家に居て、私を招き入れてくれたからなんだけど…
もしかしたら、私の事待っていてくれたのかな?
わざわざ私の来る時間に合わせてくれたのかな? きっとそうだよね?
確認して違うとわかるのは寂しいからそう思う事にする。
滉平さんがずっと私を待っていてくれたんだって… そう勝手に思う事にする。
迷惑はかけないから… 勝手に思う事だけは許して下さい。
短い間だったけど、本当にありがとうございますした。
私は滉平さんとこうなれて、とても幸せでした。はじめて感じた幸せでした。
大好きでした。


誰もいない部屋に向い深く頭を下げた。






ちょっと難しい回でした。
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